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第13回 基軸通貨であるドルと強いアメリカとの関係について(慶應義塾大学経済学部の小論文過去問)

 今回は2021年の慶應義塾大学経済学部前期の小論文をやっていきます。国際通貨のシステムについて理解が大変深まりますので、経済に興味のある人はぜひ読んでいってください。

 

[課題文]

 二十五年ぶりにローマを訪れました。そこで気づいたことが二つほどあります。一つはアメリカの存在の小ささ、もう一つはアメリカの存在の大きさです。

 ローマの町は観光客であふれています。耳を澄ますと、ドイツ語、日本語、中国語、フランス語、韓国語、英語 ー ありとあらゆる国の言葉が聞こえてきます。四半世紀前にはどこに行っても英語しか聞こえなかったのに、何という様変わりでしょう。

 ところが一歩、観光客相手の店に入るとどうでしょう。そこはアメリカが支配する世界です。どの国の観光客もなまりのある英語で店員と交渉します。代金支払いもドルの小切手やアメリカのクレジットカードで済ませています。

 かくも存在の小さくなったアメリカがなぜかくも存在を大きくしているのか。これはローマの町を歩く一人のアジア人の頭によぎった疑問ではないはずです。現代の世界について少しでも考えたことのある人間なら、だれもが抱く疑問であるはずです。

 アメリカの存在の大きさ ー それはアメリカの貨幣であるドル、アメリカの言語である英語がそれぞれ基軸通貨、基軸言語として使われていることにほかなりません。

 

 では、基軸通過、そして基軸言語とはなんでしょうか。単に世界の多くの人々がアメリカ製品をドルで買ってもドルは基軸通貨ではなく、アメリカ人と英語で話しても英語は基軸言語ではありません。

 ドルが基軸通貨であるとは、日本人がイタリアでドルを使って買い物をし、チェコの商社とインドの商社がドル立てで取引をすることなのです。英語が基軸言語であるとは、日本人がイタリア人と英語で会話し、台湾の学者とチリの学者が英語で共同論文を書くことなのです。アメリカの貨幣と言語でしかないドルと英語が、アメリカを介在せずに世界中で流通しているということなのです。ローマの町で私が見いだしたのは、まさに非対称的な構造を持つ世界の縮図だったのです。一方には、自国の貨幣と言語が他の全ての国々で使われる唯一の基軸国アメリカがあり、他方には、そのアメリカの貨幣と言語を媒介として互いに交渉せざるをえない他の全ての非基軸国があるのです。

 もちろん、これは極端な図式です。現実には、非基軸国同士の直接的な接触も盛んですし、地域地域に小基軸国もありますし、欧州連合EU)や東南アジア諸国連合ASEAN)のような地域共同体への動きもあります。だが、認識の第一歩は図式化にあります。

 ソ連が崩壊したとき、冷戦時代の思考を引きずっていた人々は、世界が覇権国アメリカによって一元的に支配される図を大まじめに描いてました。だが、私が今見いだした基軸国と非基軸国の関係は、支配と非支配の関係として理解すべきではありません。

 確かに、ドルが基軸通貨となるきっかけは、かつてのアメリカ経済の圧倒的な強さにあります。だが、今、世界中の人々がドルを持っているのは、必ずしもアメリカ製品を買うためではありません。それは世界中の人々がそのドルを貨幣として受け入れるからであり、その世界中の人がドルを受け入れるのは、やはり世界中の人がドルを受け入れるからにすぎないのです。

 ここに働いているのは、貨幣が貨幣であるのは、それが貨幣として使われているからであるという貨幣の自己循環論法です。そして、この自己循環論法によって、アメリカ経済の地盤沈下にもかかわらず全世界でアメリカのドルが使われているのです。小さなアメリカと大きなアメリカとが共存しているのです。

 

 さて、基軸通貨であることには大きな利益が伴います。例えば日本の円が海外に持ち出されたとしても、それはいつかまた日本製品の購入のために戻ってきます。非基軸通貨国は自国の生産に見合った額の貨幣しか流通させることができないからです。

 ところがアメリカ政府の発行するドル札やアメリカの銀行の創造するドル預金の一部は、日本からイタリア、イタリアからドイツ、ドイツから台湾へ、と回遊しつづけ、アメリカには戻ってきません。アメリカは自国の生産に見合う以上のドルを流通させることができるのです。もちろん、アメリカはその分だけ他国の製品を余分に購買できますから、これは本当の丸儲けです。この丸儲けのことを、経済学ではシニョレッジ(君主特権)と呼んでいます。

 特権は乱用と背中合わせです。基軸通貨国は大いなる誘惑にさらされているのです。基軸通貨を過剰に発行する誘惑です。何しろドルを発行すればするほど儲かるのですから、これほど大きな誘惑はありません。だが、この誘惑に負けると大変です。それが引き起こす世界経済のインフレは基軸通貨の価値に対する信用を失墜させ、その行き着く先は世界貿易の混乱による大恐慌です。

 それゆえ次のことが言えます。基軸通貨国は普通の資本主義国として振る舞ってはならないと。基軸通貨国が基軸通貨国であるかぎり、その行動には全世界的な責任が課せられるのです。たとえ自国の貨幣であろうとも、基軸通貨は世界全体の利益を考慮して発行されねばならないのです。

 皮肉なことに、冷戦時代のアメリカは資本主義陣営の盟主として、ある種の自己規律を持って行動していました。だが、冷戦末期から、かつての盟友であった欧州や東アジアとの競争が激化し始めると、アメリカは内向きの姿勢を強めるようになりました。

 近年には自国の貿易赤字改善の方策として、ドル価値の意図的な引き下げを試み始めています。とくに純債務国に転落した一九八六年以降、その負担を軽減しうる切り下げの誘惑はますます強まっているはずです。

 基軸通貨国のアメリカが単なる一資本主義国として振る舞いつつあるのです。大きなアメリカと小さなアメリカとの間の対立 ー これが二十一世紀に向かう世界経済が抱える最大の難問の一つです。

 この難問にどう対処すればよいのでしょうか。理想論で済むならば、全世界的に管理される世界貨幣への移行を唱えておくだけでよいでしょう。だが、貨幣は生き物です。ドルは上からの強制によって流通しているわけではないのです。人工的な世界貨幣の導入の試みは、エスペラント語の普及と同様、ことごとく失敗してきました。

 世界は非対称的な構造を持っているのです。その構造の中で、基軸国と非基軸国とが運命共同体をなしていることを私たちは認識しなければなりません。

 当然のことながら、基軸国であるアメリカは基軸国としての責任を自覚した行動を取るべきです。だがより重要なのは、非基軸国でしかない日本のような国も自国のことだけを考えてはいられないことです。非基軸国は非基軸国として、基軸国アメリカが普通の国として行動しないよう、常に監視し、助言し、協力する共同責任を負っているのです。

 私たちは従来、国際関係を支配の関係か対等の関係か、という二者択一で考えてきましたが、冷戦後の世界に求められているのは、まさにそのいずれでもない非対称な国際協調関係なのです。それはだれの支配欲もだれの対等意識も満足させないものです。だが、世界経済の歴史の中で一つの基軸通貨体制の崩壊は決まって世界危機をもたらしたことを思い起こせば、この非対称的な国際協調関係に賭けられた二十一世紀の賭け金は大変に大きなものであるはずです。

 さて次は基軸言語としての英語について語らねばなりません。だがここでは、今まで貨幣について述べたことは言語についても言えるはずだ、と述べるだけにとどめておきます。それについて詳しく論じるには、今よりはるかに大きな紙幅を必要とするからです。なにしろ歴史によれば、一つの基軸通貨体制の寿命はせいぜい百年、二百年であったのに対し、あのラテン語ローマ帝国滅亡の後、千年にも渡って欧州の基軸言語としての地位を保っていたのですから。

岩井克人「二十一世紀の資本主義論」筑摩書房、2000年より抜粋)

 

[設問]

A .筆者が25年ぶりにローマを訪れた際に気づいた「大きなアメリカ」を成立させている条件のなかで、通貨が果たしている役割を課題文に則して200字以内で説明しなさい。

 

B .課題文は1997年に書かれたものであるが、その指摘は現在も生きていると思われる。一方、課題文で述べられている、支配関係は存在しないが、非対称的な関係にある事例は、ドルや英語における国家や個人の例に限らず、他にも存在すると考えられる。あなたが今後も続くと考える、支配関係は存在しないが、非対称的な関係にある具体例を挙げ、そこでの両者の責任についてあなたの意見を400字以内で書きなさい。

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 それでは、まずAからやっていきましょう。「大きなアメリカ」を成立させている条件のなかで、通貨が果たしている役割を200字以内で説明する要約問題です。要約問題の場合、本文の中からポイントとなる文章をピックアップして、それを自分の言葉でつなげる必要があります。なお、具体例などは要約には含めてはいけません。それでは以下の通り、課題文から順番にピックアップしていきましょう。

 

アメリカの貨幣と言語でしかないドルと英語が、アメリカを介在せずに世界中で流通しているということなのです。

 

○ドルが基軸通貨となるきっかけは、かつてのアメリカ経済の圧倒的な強さにあります。だが、今、世界中の人々がドルを持っているのは、必ずしもアメリカ製品を買うためではありません。それは世界中の人々がそのドルを貨幣として受け入れるからであり、その世界中の人がドルを受け入れるのは、やはり世界中の人がドルを受け入れるからにすぎないのです。

 

○ここに働いているのは、貨幣が貨幣であるのは、それが貨幣として使われているからであるという貨幣の自己循環論法です。そして、この自己循環論法によって、アメリカ経済の地盤沈下にもかかわらず全世界でアメリカのドルが使われているのです。小さなアメリカと大きなアメリカとが共存しているのです。

 

基軸通貨であることには大きな利益が伴います。

 

アメリカは自国の生産に見合う以上のドルを流通させることができるのです。もちろん、アメリカはその分だけ他国の製品を余分に購買できますから、これは本当の丸儲けです。

 

以上5点を表現や順序を変えてつなげるとAの回答となります。模範解答は以下の通りです。

 

Aの合格答案

 かつてアメリカ経済が圧倒的に強かったため、ドルが基軸通貨となり、そのため世界中の人々がドルを貨幣として受け入れる。この自己循環論法で現在でもドルが世界で使われ続けており、ドルが基軸通貨として大きなアメリカを成立させている。さらにドルが基軸通貨であるため、アメリカは自国の生産に見合う以上のドルを世界で流通させることができ、その分だけ他国の製品を余分に購入することができる。結果、ドルは大きな利益をアメリカにもたらしている。    (199字)

 

 次にBをやっていきましょう。支配関係は存在しないが、非対称的な関係にある事例は色々とありますが、現在ではFacebookTwitterなどのSNSとユーザーとの関係が挙げられるでしょう。SNS会社はユーザーを支配していませんが、過激なフェイクニュースを放置して社会を混乱させて不安定化させる可能性があります。この問題に対してはSNS会社、ユーザーが共に適切な対応を取る必要があるでしょう。それでは以下がBの模範解答です。

 

Bの合格答案

 支配関係は存在しないものの、非対称的な関係にある事例としてはFacebookTwitterなどのSNS会社とユーザーとの関係が挙げられる。ユーザーは自発的に自分が使いたいSNSを使用しており、SNS会社に従属してはいない。しかし、彼らはSNSによって日常生活で収集する情報の大部分をコントロールされており、そのため、時としてSNSから流れてくるフェイクニュースに振り回される危険がある。もし、多くのユーザーがそのようなフェイクニュースに振り回されれば、社会的マイノリティの迫害など深刻な社会不安が引き起こされる可能性もありうる。

 このような問題を解消するため、SNS会社は、たとえ多額の費用がかかるとしても、フェイクニュースが広範囲に共有される前に検知してすぐに削除する取組みが求められる。一方、ユーザーは、SNSから流れてきた情報を安易に他のユーザーへ共有せず、必ず事前にその情報の信憑性をきちんと調べるとともに日頃からフェイクニュースに振り回されないよう注意することが求められるだろう。     (399字)

 

 みなさん、どうでしたでしょうか。今回は要約問題が難しかったかもしれません。ただし、日頃から勉強を通じて知識を習得するとともに、正しい回答方法に基づき小論文を書くトレーニングをしていれば、確実に試験でも合格答案を書けるようになります。これからも小論文のトレーニングを一緒に頑張りましょう。